サパラー・エーカーダシー
サパラー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
パウシャ月(12月〜1月)のクリシュナ・パクシャ(満月から新月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、サパラー・エーカーダシーといわれます。
このサパラー・エーカーダシーは、人生の悲しみや苦しみから解放され、成功を手にすることができると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、チャンパーヴァティーという都を統治するマヒシュマタという名前の王がいました。
マヒシュマタ王には4人の息子がいましたが、そのひとりであるルンパカは罪深い行いを繰り返し、マヒシュマタ王の財産は減るばかりでした。
ルンパカは神々をも罵るようになったため、マヒシュマタ王はルンパカを森へ追放します。
ルンパカは森のあるガジュマルの木の下で暮らすようになりました。
その木は偶然にもヴィシュヌ神が愛する木でした。
厳しい寒さに見舞われたある日、ルンパカは一晩中眠ることができずにいました。
極度の寒さによりルンパカは瀕死の状態になり、狩りもできず、飢えに苦しみます。
ルンパカはどうにかして得た森の果物をガジュマルの木に捧げ、ヴィシュヌ神に深く祈りを捧げます。
ルンパカがこうして意図せずに一晩中眠らず断食をした日は、サパラー・エーカーダシーの吉日でした。
これにより、ヴィシュヌ神にその祈りが聞き入れられ、ルンパカは悔い改めるとともに都に戻ることができたと信じられます。
サパラーには成功や繁栄といった意味があり、この日に睡眠を断ち断食を行うことで、人生の悲しみ、望ましくない出来事、不幸が取り除かれると信じられます。
そして、不幸を輝かしい未来に変え、幸運を得ることができると信じられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。