プラボーディニー(デーヴッターナ)・エーカーダシー
プラボーディニー(デーヴッターナ)・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
カールッティカ月(10月〜11月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、プラボーディニー・エーカーダシー、またはデーヴッターナ・エーカーダシーといわれます。
プラボーディニー(デーヴッターナ)・エーカーダシーは、デーヴァシャヤニー・エーカーダシーから眠りについていたヴィシュヌ神が目覚める時とされています。
言い伝えによると、ヴィシュヌ神は非常に不規則な睡眠パターンをとっていました。
何日も眠り続けることもあれば、何か月間も起きたままになることがありました。
妃であるラクシュミー女神は、これに対しヴィシュヌ神に不平を伝えます。
また、ヴィシュヌ神が眠りにつくと、シヴァ神やブラフマー神、その他の聖者たちはヴィシュヌ神に会うまで何日も、時には何か月も待たなければなりませんでした。
悪しき存在はこの状況を利用し、地球上の罪のない生き物を苦しめ始めます。
そして、アダルマ(不正)を広め、ヴェーダの知識を奪いました。
ラクシュミー女神は、ヴィシュヌ神にこれらの問題を解決するよう求めます。
すると、ヴィシュヌ神は悪しき存在を打ち倒し、ヴェーダを取り戻します。
この戦いの後、ヴィシュヌ神は一定の期間で眠り始め、その眠りは4ヶ月の期間になったといわれます。
この4ヶ月は、アーシャーダ月(6月〜7月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)のデーヴァシャヤニー・エーカーダシーに始まり、カールッティカ月(10月〜11月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)のプラボーディニー(デーヴッターナ)・エーカーダシーに終わります。
ヴィシュヌ神が眠りにつくこの4ヶ月はチャトゥルマーサとして知られ、インドでは雨季のモーンスーンに重なります。
また、太陽が北より南へ動くダクシナーヤナ(夏至より冬至に向かう時)にあたり、夜が長くなり、人々の心に大きく作用する冷たい月の影響が出てくる時でもあります。
この間は神々の夜ともいわれるように、モンスーンの恵みの雨が降り注ぐ一方で、さまざまなネガティブなエネルギーが満ちる時と信じられてきました。
この間に続く大祭は、私たちを神々へ近づけ、その中で実践される善行が、ネガティブなエネルギーを払拭し、ポジティブなエネルギーを生み出すといわれます。
ヴィシュヌ神が目覚めるこのエーカーダシーのヴラタ(戒行)を通じては、あらゆる罪が清められ、大いなる功徳が授けられるとともに、最終的な解放が与えられると伝えられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。