シュラーヴァナ・プトラダー・エーカーダシー
シュラーヴァナ・プトラダー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
シュラーヴァナ月(7〜8月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、シュラーヴァナ・プトラダー・エーカーダシーといわれます。
このシュラーヴァナ・プトラダー・エーカーダシーは、子宝を望む人々にとって大きな恩寵があると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝えられます。
かつて、マーヒシュマティーの都市を支配するマヒージタという名前の王がいました。
マヒージタ王とその妃は子どもに恵まれず、その地を継ぐ者がいないことを悩ましく思う日々を過ごしていました。
多くの聖人や賢者に相談をするも解決できず、年老いていくマヒージタ王は苦悩します。
最後に、マヒージタ王は聖仙のローマシャに謁見します。
ローマシャ仙は、現在、過去、未来を見ることのできる偉大な聖仙でした。
ローマシャ仙がマヒージタ王の過去を見ると、マヒージタがある罪を犯していたことが判ります。
マヒージタ王は、過去に商人であったことがありました。
暑い季節、取引をするために村から村を訪ね歩いていた時、マヒージタ王は美しい池を見つけ、喉の渇きを癒そうとします。
そこには生まれたばかりの子牛を連れた母牛がいるも、喉が渇いていたマヒージタ王は、2頭の牛を押しのけて水を飲み干しました。
これが罪となり、マヒージタ王は子どもに恵まれないという苦悩を抱えることになりました。
この罪を清めるために、ローマシャ仙はシュラーヴァナ月のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるプトラダー・エーカーダシーにヴラタ(戒行)を行うことを勧めます。
プトラダーには息子や子孫を与えるという意味があり、子宝を望む人々にとって大きな恩寵があると伝えられる吉日でした。
そして、この助言に従いマヒージタ王がヴラタ(戒行)を努めると、妃との間に子どもを授かったと伝えられます。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。