パドミニー・エーカーダシー
パドミニー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
約2年半に一度生じるアディカ月(閏月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、パドミニー・エーカーダシーといわれます。
このパドミニー・エーカーダシーは、罪を清めるとともに、最高の境地への導きがもたらされると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝えられます。
トレーター・ユガにおいて、クリタヴィールヤという王がいました。
クリタヴィールヤ王には多くの妃がいましたが、子どもに恵まれませんでした。
王は厳しい苦行を行うも報われず、ひとりの王妃であるパドミニー王妃が、聖者アトリの妻であり、非常に敬虔で慈悲深く奇跡的な力を持つといわれるアナスーヤーに救いを求めます。
すると、アナスーヤーはこのエーカーダシーにヴラタ(戒行)を努めることをパドミニー王妃に勧めます。
パドミニー王妃がそれを達成すると、王と王妃は子どもを授かり、後にその子どもは、古代のハイハヤ王国の伝説的な王であるカールタヴィールヤ・アルジュナになったと伝えられます。
このパドミニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)に匹敵する恩寵はなく、他のすべてのエーカーダシーの断食によって得られる恩寵と同等の恩寵が授けられると伝えられます。
それは、ヴィシュヌ神が罪を清める力と同じほどに強力であり、世界中のすべての巡礼地での沐浴によって得られるあらゆる功徳を得ることができるともいわれます。
そして、このパドミニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を努める者は誰でも、ヴィシュヌ神の住居にたどり着くことができると信じられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。