モーヒニー・エーカーダシー
モーヒニー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
ヴァイシャーカ月(4月〜5月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、モーヒニー・エーカーダシーといわれます。
このモーヒニー・エーカーダシーは、過去の悪行を清め善行を積むことができると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、サラスヴァティー川の近くにバドラーヴァティーという名前の美しい都市がありました。
ヴィシュヌ神の忠実な帰依者であったディユティマーン王がこの地を統治していました。
ディユティマーン王は5人の息子に恵まれるも、5番目の息子であるドリシュタブッディは、多くの悪行に関わる生活を送っていました。
ドリシュタブッディは、5感を満たすことを目的とした不道徳な行為を繰り返していました。
見かねたディユティマーン王は、ドリシュタブッディをその地から追放します。
追放されたドリシュタブッディは森を彷徨い、飢えや渇きにひどく苦しみました。
そして、生き残るために動物を殺めるようになり、多くの罪を重ねていきます。
ある時、ドリシュタブッディは森の中で賢者であるカウンディニャの庵のそばを通りかかります。
カウンディニャは沐浴をしており、その水が飛び散ると、ドリシュタブッディの上に降り注ぎました。
この幸運によりドリシュタブッディは良識を獲得し、自らの不道徳な行為を後悔するようになります。
ドリシュタブッディはカウンディニャに、過去の罪と悪いカルマから救いの道へと導いてくれるよう懇願しました。
これに対してカウンディニャは、罪から解放されるためにモーヒニー・エーカーダシーの断食を守るよう助言します。
そして、ドリシュタブッディはモーヒニー・エーカーダシーの日に断食を成し遂げると、その罪はすべて洗い流され、ヴィシュヌ神の住居にたどり着いたと伝えられます。
モーヒニーは、不死の霊薬であるアムリタを生み出す乳海撹拌において、悪魔たちに盗まれたアムリタを取り返そうと、ヴィシュヌ神がなりすました美女の姿にあたります。
一説に、モーヒニー・エーカーダシーはヴィシュヌ神がこのモーヒニーとしての姿を現した時であると信じられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。