インディラー・エーカーダシー
インディラー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
アーシュヴィナ月(9月〜10月)のクリシュナ・パクシャ(満月から新月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、インディラー・エーカーダシーといわれます。
このインディラー・エーカーダシーは、あらゆる罪を清めるとともに地獄に落ちた先祖たちを解放することができると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、すべてに恵まれたインドセラーナーと呼ばれる王が暮らしていました。
インドセラーナー王はある時、降臨した聖仙のナーラダに謁見します。
ナーラダ仙は、ヤマローカ(地獄)を通った時、死の神であるヤマ神の集会においてインドセラーナー王の父親に出会い、伝言を頼まれたことを伝えます。
その伝言は、父親が天国に昇ることができないでいること、父親を天国に導くためにインディラー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を行うこと、そしてたくさんの慈善活動を行うこと、という内容でした。
その伝言をインドセラーナー王に伝えると、ナーラダ仙はその場から消え去ります。
地獄に落ちた者は、苦しみの中で心の平安を得ることができず、慈善活動を行うこともできないため、天国に昇るためには遺された家族がそれを行う必要がありました。
それを聞いたインドセラーナー王は、インディラー・エーカーダシーに断食を真摯に行い、祈りを捧げます。
すると、空から花が落ちてくると同時に、父親がヴィシュヌ神の乗り物であるガルダに乗って天国に上昇する姿を目にします。
その後、インドセラーナー王はなんの困難もなく王国を統治し、息子に王国を引き渡した時、インドセラーナー王自身も天国に昇ったと伝えられます。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。