ダシャハラー(ヴィジャヤ・ダシャミー)
ダシャハラー(ヴィジャヤ・ダシャミー)について
ダシャハラーは、秋のナヴァラートリを終えた後に祝福され、ドゥルガー女神がアスラのマヒシャースラを倒した日として知られます。
アーシュヴィナ月(9月〜10月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の10日目がその日にあたります。
この日は、ラーマ神が羅刹王のラーヴァナに打ち勝った日として祝福される日でもあり、悪に対する善の勝利を象徴する吉祥な日として崇められます。
それ故、この日は「勝利の10日目」を意味するヴィジャヤ・ダシャミーとも呼ばれます。
また、ダシャハラーには「10の罪を取り除く」という意味があります。
ダシャハラーに深く関わりがあるラーヴァナは、10の頭を持ち、自らの頭を切り落としながらブラフマー神への苦行を行ったことで有名です。
この10の頭に象徴されるものは、色欲、怒り、執着、強欲、慢心、嫉妬、自己中心、偽り、酷薄、自尊心といった、私たちの心を支配する悪質な感情や思考の数々といわれます。
一方で、それは4つのヴェーダと6つのシャーストラを象徴し、ラーヴァナが知識に卓越した存在であることを象徴しているともいわれます。
そんなラーヴァナが唯一成し得なかったことが感覚の制御でした。
ラーヴァナの10の頭は、5つの知覚器官と5つの行為器官であるとも伝えられ、それは、目・耳・鼻・舌・皮膚(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の5つの知覚器官、そして、口・手・足・生殖器官・排泄器官(発声・操作・移動・生殖・排泄)の5つの行為器官にあたります。
ラーヴァナは大きな王国を築くも、こうした常に変化を続ける肉体の知覚や行為を制御することができず、決して幸せに留まることはなかったと伝えられます。
一方で、ラーマ神は、この地において邪悪な力を破壊するために誕生したといわれるヴィシュヌ神の化身です。
信じがたいほどの超越的な資質に恵まれ、不屈でいて勇敢であり、無比の主として崇敬されています。
ラーマ神の人生は、信心深い従順さ、比類のないの純真さ、汚れのない純潔さ、称賛に値する充足、自己犠牲、自我の放棄、そのものであったといわれます。
ラーマ神への礼拝を行うことにより、心は守られ、崇高な真実を理解するための備えとなる信念を与えられると信じられています。
肉体をまとう私たちの内には、ラーヴァナの質も、ラーマの質も存在しています。
悪質に苛まれる時、人は死の時まで、無数の不安と焦燥に苦しまねばならないといわれます。
それが自分自身の内の無知から生じるものだからであり、これらの悪質を滅し至福に至るための唯一の方法が、自分自身の内にある神性に究極的に気づくということであると伝えられます。
ダシャハラーは、9日間のナヴァラートリを通じて清められたその自分自身の神性を讃える日でもあります。