サルヴァ・ピトリ・アマーヴァシャー
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァシャーについて
ヒンドゥー教における先祖供養の期間「ピトリ・パクシャ」の最終日は「サルヴァ・ピトリ・アマーヴァシャー」と呼ばれます。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァシャーは、暦ではアーシュヴィナ月(9月〜10月)の新月にあたります。
「サルヴァ」とは「すべて」を意味し、この日は特定の家系や個人を超えて、あらゆる魂に祈りを捧げる普遍的な供養の日とされています。
通常の供養儀礼であるシュラーッダは亡くなった日付(ティティ)に合わせて行われますが、遠い過去の祖先や命日が不明な人々、あるいは戦乱や事故で亡くなった者たちは、この秩序から漏れてしまいます。
古代の聖仙たちは、こうした「救われにくい魂」を慰めるために、この特別な新月の供養を定めました。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァシャーは、時間や血縁を超えてすべての魂を包み込む霊的な安全網と考えられています。
この日に供養の対象となる魂は大きく三つに分けられます。
第一は、遠い祖先たちです。
数世代前までしか記憶に残らない私たちの祖先は、実際には数えきれない連なりの上に存在します。
命日が忘れられた祖霊も、この日であれば供養を受け取れるとされます。
また、分家や忘れ去られた家系の霊も含まれ、断絶した血の繋がりを霊的に回復させることができると伝えられます。
第二は、非業の最期を遂げた魂です。
事故や災害、自死などで突然命を失った者たちは、強い執着や苦しみを残したままさまようと考えられます。
また、子孫を残さずに亡くなった魂も通常は供養を受けられません。
この日の儀礼は、こうした魂に安らぎを与える大切な機会となるとされます。
第三は、血縁を超えた人々や無縁の魂です。
師や友人、恩人など、生前に縁をもった人々も供養の対象となります。
そして、誰にも祈られず忘れ去られた無縁仏にまで祈りが広がります。
水や供物を無名の魂に捧げる行為は、宇宙的な慈悲の表現であり、霊界全体の調和をもたらすと信じられています。
この日の儀礼では「既知も未知も、友も敵も、あらゆる魂がこの供物を受け取れますように」と祈りの言葉が唱えられます。
祈りは家系を超え、世界全体の魂に向けられます。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァシャーの本質は、亡き人々への祈りを通じて、生きている私たち自身の自己理解を深めることにあります。
遠い祖先や無縁の魂にまで思いを向けるとき、私たちは自分が無数の生命の網の目の中に生かされていることを悟ります。
その認識は謙虚さと慈悲を育み、個の殻を破って生命全体と一体になる体験を与えてくれます。
この新月の日は、すべての魂を救済すると同時に、私たち自身が「すべての生命との繋がりの中で生きている」ことを教えてくれる、普遍的な霊的修練の時として受け継がれています。