ヴィジャヤー・エーカーダシー
ヴィジャヤー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
パールグナ月(2月〜3月)のクリシュナ・パクシャ(満月から新月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、ヴィジャヤー・エーカーダシーといわれます。
このヴィジャヤー・エーカーダシーは、あらゆる困難を乗り越え、勝利や成功がもたらされると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
叙事詩のラーマーヤナにおいて、ラーマ神の妻であるシーター女神は、羅刹王のラーヴァナによってランカー島へ誘拐されてしまいました。
シーター女神を救い出すために、ラーマ神はインドから海を越え、ラーヴァナが支配するランカー島に渡る必要がありました。
しかし、広大な海を渡ることは決して容易ではなく、誰もがこの状況を憂い、心を悩ませました。
その時、ラーマ神の弟であるラクシュマナは、近くに偉大な賢者であるヴァカダールビャが暮らしていることを思い出します。
ラクシュマナは、解決策を賢者に相談することを提案し、ラーマ神とともにその庵を訪ねます。
ヴァカダールビャは卓越した知識を持つ賢者であり、その知識を活かして人々を導き、問題の解決策を提案していました。
賢者の庵に近づき、ラーマ神とラクシュマナがその導きを求めたとき、賢者はラーマ神にヴィジャヤー・エーカーダシーの断食を守るように勧めます。
ヴィジャヤー・エーカーダシーに断食を行うことは、使命をまっとうし勝利を達成するための究極かつもっとも徹底的な解決策であると述べました。
その教えに従いエーカーダシーの断食を守ると、ラーマ神に従うハヌマーン神に率いられた勇敢な猿軍の活躍により、ラーマ神たちはインドとランカー島を結ぶ橋を築くことに成功します。
ラーマ神はその橋を通じてランカー島に渡ると、ラーヴァナを倒し、シーター女神を救い出したと伝えられます。
このように、ラーマーヤナにおいてラーマ神が勝利を達成した理由のひとつに、このエーカーダシーの断食があったと伝えられます。
ヴィジャヤーには勝利という意味があるように、このエーカーダシーの断食を努めることで、あらゆる困難を乗り越え、勝利や成功を収める力がもたらされると伝えられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。