ジャヤー・エーカーダシー
ジャヤー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
マーガ月(1月〜2月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、ジャヤー・エーカーダシーといわれます。
このジャヤー・エーカーダシーは、罪深い行為を清めるとともに、欲望や困難に打ち勝つことができると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、神々の王であるインドラ神が統治する天のナンダナの庭園において、盛大な祝宴が開かれました。
そこでは、ガンダルヴァ(天上の音楽師たち)が歌を歌い、アプサラス(天女とも称される水の精たち)が踊りを踊っていました。
マーリヤヴァーナという素晴らしいガンダルヴァが誰よりも美しい歌を歌っていた時、アプサラスで踊りを踊っていたプシュパーヴァティーはマーリヤヴァーナに心を奪われます。
マーリヤヴァーナもプシュパーヴァティーの踊りを見ているうちに集中力を失い、リズムを崩してしまいました。
これを見たインドラ神は腹を立て、欲望に駆り立てられたふたりをピシャーチャ(鬼神)の醜い姿にし、地上での生活を送るように呪いをかけます。
その後、ふたりはヒマーラヤの高地に落ちると、寒さに震え、恐怖に苦しみ始めます。
醜い鬼神の姿で犯した罪を後悔しながらあまりの惨めさに嘆いていたある日、ふたりは水を飲むことも、食べ物をとることも、眠ることもできませんでした。
こうして無意識のうちに断食を行なった日が、ジャヤー・エーカーダシーの吉日でした。
翌日に太陽が昇ると、ふたりは鬼神の姿から天人の姿になり、再び天に昇ることができたと伝えられます。
欲望を象徴する神格に、愛の神として知られるカーマデーヴァの存在があります。
マーガ月(1月〜2月)を過ぎるとインドでは春が始まりますが、カーマデーヴァは春の神格であるヴァサンタを親友とし、この春の季節に活発になると伝えられます。
ジャヤーには勝利という意味があるように、このエーカーダシーを通じては、神々の恩寵により欲望や困難に打ち勝つことができると信じられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。