ラマー・エーカーダシー
ラマー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
カールッティカ月(10月〜11月)のクリシュナ・パクシャ(満月から新月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、ラマー・エーカーダシーといわれます。
このラマー・エーカーダシーは、最大の罪を即座に根絶し、崇高な住居への道を与えられると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、ヴィシュヌ神を心から崇めるムチュクンダという有名な王が暮らしていました。
ムチュクンダ王には、ショーバナと呼ばれる若王と結婚したチャンドラバーガーという名前の娘がいました。
ある縁起の良い日に、ショーバナとチャンドラバーガーがムチュクンダ王を訪ねます。
その日は、ラマー・エーカーダシーの吉日でした。
ムチュクンダ王は戒律に従う敬虔な王であり、エーカーダシーにおいては日頃から周囲の誰もが断食を行なっていました。
その日も断食を行うべき日でしたが、ショーバナは体が弱く、断食ができないことをチャンドラバーガーも理解していました。
それでも、戒律に従い断食を行なったショーバナは、夜中に命を落としています。
すると、エーカーダシーの間に亡くなった恩寵により、ショーバナは美しい王国を与えられます。
しかし、ショーバナは信仰心からエーカーダシーの断食を行なったわけではなかったため、王国の美しさは一時的なものに過ぎませんでした。
それを永遠のものとするには、子どもの頃から信仰心のもとでエーカーダシーを努めていた妻のチャンドラバーガーの力が必要でした。
その事実を耳にしたチャンドラバーガーは、聖仙の力をかりて愛するショーバナに会いに行き、得ていた功徳をショーバナに与えます。
これにより、ショーバナの王国の美しさは永遠となり、そこで二人は幸せに暮らしたと伝えられます。
ラマー・エーカーダシーは、ヴィシュヌ神の妻であるラクシュミー女神の降誕祭、ディーワーリーの4日前にあたります。
そのため、このエーカダシーを通じては、ラクシュミー女神の恩寵も授けられるといわれます。
ラマーはラクシュミー女神の別名であり、最愛の人や配偶者を意味する言葉であるとともに、幸運や喜びといった意味があります。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。