ニルジャラー・エーカーダシー
ニルジャラー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
ジェーシュタ月(5月〜6月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、ニルジャラー・エーカーダシーといわれます。
このニルジャラー・エーカーダシーは、あらゆる罪を取り除き、最高の境地に至る恩寵を得ることができると伝えられる吉日です。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目にあたるエーカーダシーは、1年間でおよそ24回訪れます。
そのエーカーダシーの中で、ニルジャラー・エーカーダシーはもっとも厳しい断食が行われる時となります。
「ニルジャラ」は「水の無い」を意味し、この日、敬虔な人々は水すらも口にしない断食を行います。
ニルジャラー・エーカーダシーにおいて、水すらも飲まずに断食を成し遂げた者は、1年の24回のエーカーダシーを全て達成したことに値すると伝えられます。
一説に、以下のような神話が伝わります。
『マハーバーラタ』に登場するパーンダヴァの5兄弟(ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ)は、その妻たちとともに、誰もがこのエーカーダシーの断食を厳守していました。
しかし、ビーマだけは非常に強いアグニ(消化の火のエネルギー)を持っていたため、空腹に耐えることができず、毎回の断食を実践することができずにいました。
エーカーダシーの断食は、解脱を得るためには必須の行いと伝えられることから、ビーマは聖仙であるヴィヤーサに助言を求めます。
すると、ヴィヤーサは1年のすべてのエーカーダシーを行うのと同等の功徳が得られるとされるニルジャラー・エーカーダシーの断食を行うことを勧めたといわれます。
ニルジャラー・エーカーダシーを迎えるジェーシュタ月(5月〜6月)は、インドの多くの地域が1年でもっとも暑くなる時期にあたります。
この時、水すらも口にしない断食を行うことは大変な苦行を意味し、これを達成することにより、肉体だけでなく、精神もまた深く清められると信じられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。