シャバリー・ジャヤンティー
シャバリー・ジャヤンティーについて
シャバリー・ジャヤンティーは、純粋な献身の象徴として知られるシャバリーの誕生を祝う吉日です。
この日は、パールグナ月(2月〜3月)のクリシュナ・パクシャ(満月から新月へ向かう半月)のサプタミー(7日目)にあたります。
ヒンドゥー教の慣習には、ナイヴェーディヤという神々に食事を捧げる行為があります。
このナイヴェーディヤは、調理をした食事を最初に神前に捧げる行為になり、これにおいて、味見をしたり、匂いを嗅いだりすることはありません。
そうして清らかな食事を神々へ捧げた後に、私たち自身が食事をいただくことが大切な作法となります。
このナイヴェーディヤについて、信仰のあり方を学ぶある有名な神話が伝わります。
それが、ラーマーヤナに登場する老婦人のシャバリーにまつわる神話です。
シャバリーは、崇高な知識を探究する女性でしたが、カーストが低く、知識を得るに値しないと、あらゆる聖者たちに拒まれ続けます。
そんなシャバリーを受け入れたのが、聖者のマータンガでした。
シャバリーは、森のマータンガのアーシュラムで慎ましく、霊的探求に勤しみます。
そして、マータンガが肉体を離れる時、マータンガはシャバリーに、ラーマ神を待つようにと伝えます。
シャバリーは、ラーマ神に謁見する日を待ち望みながら日々を暮らしました。
いつ謁見できるか分からないラーマ神のために、毎日、森を歩きながら、ラーマ神に捧げるための果物を集め続けました。
シャバリーは集めた果物を少し味見して、甘いものだけを取り分けていました。
ある日、シャバリーの前に森を歩いていたラーマ神と弟のラクシュマナがあらわれます。
シャバリーは喜び、果物を供物として捧げようとしましたが、かじられた果物を見た弟のラクシュマナは、食べてはいけないとラーマ神に伝えます。
しかし、ラーマ神は果物を食べ、最上の甘味であると、シャバリーに喜びを伝えたといわれます。
この逸話には複数の解釈が存在します。
しかし、ラーマ神が食べかけの果物を食したように、大切なことは捧げ物の状態や価値ではなく、シャバリーに見られる信仰心であるということが広く解釈されています。
神を心から愛する者こそが最高の修行者であるといわれるように、シャバリーの姿勢は現代にもその信仰のあり方を伝え続けています。