アパラー・エーカーダシー
アパラー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
ジェーシュタ月(5月〜6月)のクリシュナ・パクシャ(満月から新月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、アパラー・エーカーダシーといわれます。
このアパラー・エーカーダシーは、限りのない至福へと到達する恩寵を得ることができると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、親切で寛大な心を持つマヒードゥヴァジャという名前の王がいました。
マヒードゥヴァジャには、正反対の性格を持ったヴァジュラドゥヴァジャという弟がいました。
ヴァジュラドゥヴァジャの心は兄に対する嫉妬で満ちており、兄の敬虔な行動が好きではありませんでした。
ヴァジュラドゥヴァジャは、兄を倒して権力と自分の王国を手に入れる機会を常に狙っていました。
そして、ヴァジュラドゥヴァジャはそれを実行し、兄を暗い森のピーパルの木の下に埋めてしまいます。
マヒードゥヴァジャの魂はピーパルの木の下を彷徨うようになり、その近くを通り過ぎる人々を悩ませていました。
ある日、その道を通りかかった一人の老師がマヒードゥヴァジャの亡霊と会話を交わします。
マヒードゥヴァジャの亡霊がこれまでの経緯を語ると、老師は救済のためにアパラー・エーカーダシーを行います。
その恩恵により、マヒードゥヴァジャの魂は解脱を得ることができたと伝えられます。
これにより、アパラー・エーカーダシーの断食を守ることで、限りのない至福へと到達する恩寵を手にすることができると信じられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。