アーマラキー・エーカーダシー
アーマラキー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
パールグナ月(2月〜3月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、アーマラキー・エーカーダシーといわれます。
このアーマラキー・エーカーダシーは、あらゆる罪を清め解放を達成することができると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、チトララタ王が治めるヴァイディシャ王国という幸福と繁栄に満ちた素晴らしい王国がありました。
アーマラキー・エーカーダシーが近づいた時、チトララタ王は臣下たちとアーマラキーの木(アムラの木)のもとで祈りを捧げ断食を行っていました。
この美しい光景を目にしたひとりの狩人がいました。
狩人は動物を殺める生活を続け疲労していましたが、このエーカーダシーの儀式を眺め、主の栄光に耳を傾けながら一晩を過ごしました。
この功徳により罪を清められ、狩人は偉大なヴァスラタ王として生まれ変わります。
ある時、ヴァスラタ王が森で狩りをしていた時、道に迷い、部族の襲撃に遭遇します。
しかし、ヴァスラタ王が意識った時、突然にヴァスラタ王の体から一筋の光が現れ、部族の男たちを打ち倒しました。
ヴァスラタ王が意識を取り戻し、その光景を見た時、神の声がクリシュナ神の力によるものであると告げます。
ヴァスラタ王はアーマラキー・エーカーダシーの功徳を得ていたために、クリシュナ神の恩寵に守られたのだと伝えられます。
アーマラキー(アムラ)は、その健康効果から「若返りの果実」とも称され、和名ではユカンとして知られています。
一説に、ルドラークシャはシヴァ神の目から落ちた涙から生まれたとされる一方で、アムラはヴィシュヌ神の目から落ちた涙から生まれたとされています。
このアムラの木を通じてヴィシュヌ神やクリシュナ神に祈りを捧げる時、その偉大な恩寵を賜ることができると信じられています。
アーマラキー・エーカーダシーは、クリシュナ神を讃えるホーリー・フェスティバルの4日前となり、この時に捧げられる祈りは特に大きな恩寵をもたらすと伝えられています。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。