パーパーンクシャー・エーカーダシー
パーパーンクシャー・エーカーダシーについて
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。
アーシュヴィナ月(9月〜10月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目にあたるエーカーダシーは、パーパーンクシャー・エーカーダシーといわれます。
このパーパーンクシャー・エーカーダシーは、過去のあらゆる悪行や罪過を清めることができると伝えられる吉日です。
一説に、以下のような神話が伝わります。
かつて、ヴィンディヤーチャラ山にクローダナという非常に残酷な狩人が暮らしていました。
クローダナは、生涯を通じて悪行と罪過に深く関わっていました。
時が経ち、年老い始めた時、クローダナは自分の死について怖れを感じるようになります。
これまでの悪行と罪過のために、死後に苦しむことになるのではないかと不安を感じるようになったからでした。
クローダナは、過去の悪行と罪過を償うために、山に住んでいた高名な賢者、アンギラーに近づきます。
そして、賢者に助けを求め、あらゆる罪から解放されるための方法を教えて欲しいと頼みます。
賢者はクローダナに、アーシュヴィナ月(9月〜10月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の11日目に訪れる、パーパーンクシャー・エーカーダシーの断食を行うように教えます。
クローダナはその教えに従い、あらゆる儀式を真摯に行い、断食も努め上げました。
すると、クローダナはヴィシュヌ神の祝福を受け、過去のあらゆる罪から解放され、救いを得たと伝えられます。
パーパーンクシャーのパーパには罪、アンクシャーには象使いが用いる鎌のような突き棒の意味があります。
パーパーンクシャー・エーカーダシーは、断食という高潔な行いで、象のように強大な罪を打ち砕くことを意味します。
不浄な傾向を克服するナヴァラートリとダシャハラーの祭典の後に訪れるこのエーカーダシーは、あらゆる罪を清める大きな恩寵が授けられると信じられます。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。
11が意味するものは、5つの感覚、5つの器官、そして心を合わせた11のものであり、エーカーダシーにおいてはそれらを統制することが重要な行いとなります。
この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。
困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けるといわれます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。